睡眠時間と「うつ」の関係……可能な限り9時間睡眠

最近、子供の夜泣きに悩まされることが多いです。
実にやっかいなもので、何とか泣き止まそうとするのですが、余計に大声を上げどうにもなりません。翌朝再び仕事に出かけねばならない自分にとって、大きなストレスです。
仕方なく、子供を車に乗せてぶらぶらドライブしているうちに寝付きますが、流れた時間は少なくなく、睡眠不足に陥る……。

そんな経験をされている読者の方も多いことかと思います。

睡眠不足から、心の悩みを抱え、そしてストレスとなり、うつ病をまねく……それが統計によって明らかになってきたことが報道されていました。

就寝時間が遅い若者はうつ病のリスクが高い、米研究(AFPBBニュース)
 これによると日常的に深夜零時より遅く就寝しているグループは、午後10時までに就寝するグループに比べ、うつ病になるリスクが24%、自殺を考えるようになるリスクが約20%高かった。
 また睡眠時間が5時間以下の若者はうつ病になる割合が71%、自殺を考えるようになる割合が48%も高かったという。

逆の考えで、うつだから睡眠が少なくなる、という例もあるでしょう。

しかし、睡眠時間と心の関係は、深いものがありそうです。
実際、精神科で「もっと睡眠を取った方がよい」と診察を受けて、その通りにしたら自然とうつも軽くなった、という事例もあります。

嫌なことがあった時、心にストレスを感じた時。……そんな時は、夜更かししてDVDでも見て気晴らしするか、とはならずに、さっさと就寝してしまった方が効果が高いのかもしれません。

あくまで統計上でのことですが、睡眠不足から「自殺」を考えるようになるぐらいなら、12時より早く寝るように致しましょう。
それが、あなたの為、そして家族の為でもあるのです。

……え?、12時前に寝ていたら、とても仕事にならないって?
もちろん、そうさせてくれる環境も大事ですからね。つまり、家族への配慮もお忘れなく。

大阪市職員の「心の悩み」? 休職者が増加している件

大阪市の職員で、昨年1年間のうち心の病で休職した人が274人に登ったと報じられました。
調査の対象は3万人の職員ですが、休職者数は年々増えているそうです。

仕事上の問題や、人間関係から来るストレス、家庭をとりまく事情など様々な原因が考えられますが、みなさんが底知れない「心の悩み」をかかえていることには違いなさそうです。
大阪市は臨床心理士らが相談に応じるカウンセリングルームを設けたり、管理職向けの対応マニュアルなどを作成し、早期予防に努めようとしているそうです。しかし、これだけ多くの職員が休職しているとなると、予備軍も合わせてカウンセリングを行うには、相当無理があるようにも感じます。
管理職の人まで休職してしまうかもしれません。

仕事上で大きなストレスとなる要因の一つに、人間関係があるでしょう。私も最近、人間関係が辛くて仕事を辞めたと相談を受けた人があります。
人は一人で生きることはできません。仕事に限らず、日頃の生活をする上で、人間関係を無視することはできません。
自分の心を和ませてくれる人とだけつきあえるのなら、こんなに幸せなことはありませんが、そうも言っておれないことも多々あるのも事実。

そんな時は、やはり「発想の転換」をしないと、乗り越えることができません。

親鸞会の法話で教えてもらったことがあるのですが、
「この世は皆、しばらくの縁である。
 しばらくの間、夫であり妻であり、子どもであり親なのである。
 そうと知れば、一瞬一瞬のご縁を、大切にせずにおれなくなる」
 
人生は所詮、乗り合い舟。目的地の岸に着いたら、乗船客はそれぞれ散らばって行く。親も配偶者も子どもも、みんな舟に乗っている間の縁なのだ、と。

これからの人生は長く感じられますが、過ぎ去った人生というのはあっという間。
所詮短い間の出来事。
あなたの隣にいる人も、いつか必ず別れる時がある。
そう思えば、嫌な人間関係も、「すこしは大切にしてみようかな」という気持ちになりませんか?

他人の目が、どうしても気になる悩み

「自分はどう思われているのか、他人からどう見られているのか」

それがとても気になって、ストレスになる人が多いです。

自分の外見がコンプレックスになって、人とうまくつきあえない、更には家から出ることができない・・・様々なトラブル、そして心の悩みとなってきます。

人と人との付き合いの中には、当然「礼儀」というものが存在します。

コミュニケーションにおいて、自由奔放に行われればよいものではなく、当然そこには守らねばならないルールが存在します。

「礼儀」とは、自分の言動が相手にどのように思われているのか、どのように受け止められるのかを感じ取って、そのストレスを少しでも軽減するように言動を慎むことと言われます。

つまり、人とつきあう以上「他人からどう思われているのか」を常に考えねばならないことに違いありません。

それが行き過ぎると、とんでもないことになります。

心の悩みが深まり、自分の妄想が広がり、「あいつは私のことを悪く思っているのではないか」と必要以上に他人のことを恨む結果にもなりかねません。

心の向きを、是非転回してみてください。

あなたと同じように、他人も、「自分が生きることで精一杯」なのです。

他人のことを、あれこれ考える余裕などないのです。

自分が思っているほど、他人はあなたのことを考えていたりはしません。たとえ思っていたとしても「そんなもんだ」と見るのがせいぜいです。

そう心に言い聞かせて、存分に他人とつきあってみませんか。

語ることで、心の悩みを和らげよう

かかえている心の悩みを解消する、一つの方法としては、やはり誰かにその悩みを打ち明けてみる、ということが上げられます。

そんな「相手」を、お持ちですか?

近所付き合いが、まるで同じ家族のように親密になされていた時は、近所のおばさんでさえ悩みを聞いてくれる環境がありました。
そんなコミュニケーションが薄くなってきた今日、考えられるのはどんな人物でしょうか。

当然、学校や職場での友人、家庭なら親や配偶者、その他様々な相手を想像することができます。

しかし、どんなに気心知れた仲でも、「これ以上は話すことができない」という奥深い悩みに至ることも、少なくありません。
いつも一緒に暮らしている妻だけど、これ以上はしゃべれない。
いつも平気で迷惑をかけている親だけど、これ以上は語れない。
いつも楽しくやっている友達だけど、これ以上は話せない。

……打ち明けると、多大な迷惑をかけるから。
……打ち明けると、絶対に相手を悲しませることになるから。

そんな悩みが尽きないことも、しばしば。

「もうこれ以上、打ち明けることはできない」ものを、誰もが必ず持っているということは、親鸞会でもしばしば教えられることです。
仏教でも、そんな深い悩みを見つめ、その解決方法は何なのかを教えられているのです。

そんな浄土真宗の教えに触れないまでも、悩みを打ち明けられる相手を持つことは大切なことです。
悩みを語ることによって、気持ちは随分と落ち着くものです。

「相手は、きっといやがるだろう……」
そんな、相手に、どう思われようと、いいじゃありませんか。
それよりも、心の悩みを蓄積して、自身に不健康を招いたり、ましてや自ら命を絶つようなことになってしまってから、相手にどうこう思われるなどといったことは大きな問題ではなくなります。

語る、ということは、それほど大事なことなのですね。
日頃から、そんな「語り合い」というコミュニケーションを取れるようになっておくのも、大切なことだと思いますね。

「生活を楽しむ」ことが、発病リスクを抑える

9月30日、朝日新聞の記事に「楽天家の男性は脳卒中リスク低め 厚労省9万人調査」というタイトルで、厚生労働省研究班の調査結果が紹介されていました。

研究内容では、男女8万8175人を対象に、「自身の生活を楽しんでいるか」というアンケートの結果と、循環器病との関係を調査。
男性で「楽しんでいる」意識が低いグループは、高いグループに比べて脳卒中の発症リスクは1.28倍、狭心症や心筋梗塞の発症は1.22倍と高くなったという結果が出たそうです。
なぜか女性には関連がみられなかったそうです。

「自身の生活を楽しんでいる」と思っている人が、必ずしも記事タイトルのような「楽天家」と言えるかどうかは疑問ですが、前向きな考え方と、病気の関係を表している興味深い調査結果と言えるでしょう。

心の悩みをかかえ、ストレスを感じている人が「病気」になりやすい、という統計結果を見ることがありますが、「生活を楽しむ」「前向きに考える」というポジティブ思考が、健康に善い結果を与えるという統計は、あまり見ることがありません。
「健康」だから「前向き」なのか、「前向き」だから「健康」なのか。
果たして、どちらが先でしょう?

当然ながら「健康」な人は、自分のやりたいことが病気で邪魔されることがありませんから、特に心の悩みをかかえることもないでしょう。
逆に「不健康」だと、病院通いや、それに伴う経済的問題など、ストレスを感じることが多くなることでしょう。

ただ、「不健康」「病気持ち」だからといって、すべての人が悲観的に生きている訳ではありません。死に至る病を持ちながらも、それでもなお「前向き」に生活を楽しむ人を、私は多く見てきました。

ある大きな病気をかかえた知人が言っていました。
「大きな病気をかかえて、それが自分の人生に与えられた苦難と受け止め、悲観する人もあるでしょう。私もやっかいな病をかかえ、周囲の人から哀れみの目で見られることも多いです。
 しかし、私自身はそこまで悩んでいません。むしろ、病も『個性』の一つなのだと考え、『自分』という人間の一部分であると思えて『楽しむ』心が出てくるのです」
 実際その人は、自分の病の体験を通して、同じ病に苦しむ人へ手助けをしたり、また優しく接したり、私も多くのことを彼から学ぶことができました。

そういう境地になるには、やはり何度も辛い思いを通ってきたことがあったそうです。
「心の悩み」というものは、もしかしたら、辛い自分の人生を受け止め、前向きに生きることができるようになる、一つのステップなのかもしれません。

現代人の心の悩み;生きがい

「あなたの生きがいは何ですか?」
と聞かれて、すぐに明快な答えを言える人はどれくらいいるでしょうか。

現代人の心の悩みは、生きる目的がわからないために、生きがいが生きがいと感じられず、生きることが辛く、苦しいものに思えることにあるのではないでしょうか。
この場合の「生きがい」とは、夢や目標とも置き換えられますし、幸せ、幸せな気持ち、充実感とも言えます。

しかし、現代はモノに溢れ美味しいもの、便利なもの、が簡単に手に入る世の中になっています。
それなのに、日々の生活に喜びを感じられず、同じことの繰り返しと思っている人が多いのではないでしょうか。

心の悩みは満たされ過ぎていることで、逆に増長させられているように思われます。

「満たされていない」ことは、エネルギーになります。
ハングリー精神などともいいますが、逆境は人間にパワーを与えるのだと思います。

しかし、我武者羅に生きることで、本当の生きる喜びを得ることができるのでしょうか。

我武者羅に突っ走るパワーやエネルギーがあっても、どこに向かって走ればいいのかを間違っていてはどうにもなりません。
たどり着いた先は、想像もしなかった暗黒の世界かもしれません。
もし、そうであれば、これほどむなしい人生はないでしょう。

親鸞会のホームページに、「御文章」についての解説があったのでご紹介しておきます。
『凡そはかなきものは、この世の始中終、幻の如くなる一期なり』

(省略)~人生はよく旅に例えられます。旅人にとって最も大事なのは、行く先でしょう。どんなものを食べるか、どんな服を着るかより、もっと大事なのは目的地。行く先がハッキリしていなかったら、歩く意味がありません。

歩けば歩くほど苦しいように、生きれば生きるほど、苦しみも多くやってきます。目的なしに生きるのは、苦しむために生きるようなものです。意味も目的もなく、最後死ぬために生きるのが人生ならば、私たちは何のために生まれてきたのでしょうか。なぜ人命は地球よりも重いといわれるのでしょうか。

蓮如上人は、”目的なしに生きる人間の儚さを知りなさいよ”と、教えられています。

人生の目的

現代人の心の悩みは、生きることの意味、つまり「人生の目的」を見出せずにいることだと思います。
ある人は「家族を養うこと」、「お金を儲けること」、「いい暮らしをすること」と人生の目的を説明するかもしれません。

しかしそうしたことが「人生の目的」なのでしょうか。
心の悩みは、こうした俗世間の価値基準で自分を縛ることに原因の一端があるのではないでしょうか。親鸞会のホームページで次の一説を紹介されていたので、引用したいと思います。

<人生の目的 親鸞聖人の宣言>
『たとえ、汗と涙で築いた全財産を失い、最愛の人と別れ、重い病に倒れても、”人間に生まれてよかった。この身になるための人生だった”と知らされる生命の歓喜はあるのでしょうか。』

生きる目的は何か。親鸞聖人の解答は、揺るがぬ確信と勇気に満ちています。
「難思(なんし)の弘誓(ぐぜい)は難度海(なんどかい)を度する大船、無碍(むげ)の光明は無明(むみょう)の闇を破する慧日(えにち)なり」
教行信証:きょうぎょうしんしょう)

“阿弥陀仏の誓願(難思の弘誓)は、私たちの苦悩の根元である無明の闇を破り、苦しみの波の絶えない人生の海を、明るく楽しくわたす大船である。この船に乗ることこそが人生の目的だ”
何と大きく、力強い宣言でしょう。「苦海をわたす大船に乗ること」とは、「苦悩の根元を破られ、”よくぞ人間に生まれたものぞ”と生命の大歓喜を得ること」です。
~~~~以上、引用~~~~

ここで親鸞聖人は明確に人生の目的をおっしゃっておられます。弥陀の本願に救われることが人生の目的だと。
心の悩みの多くは人生の目的がわからずにいることだと思われます。ヒントがありそうです。

生きるということ

生きるということはどういうことなのでしょうか。
人はなぜ生きるのか?

現代人の心の悩みはこうした疑問にいきつくのではないかと思います。
心の悩みの多くが、「生きる喜び」を感じられずにいることから発しているのではないですか。

自分の心に問いかけてみましょう。
「なぜ生きているのか」
「生きる喜びとは?」
現代人にとっては、あまりに抽象的過ぎて答えが出てこないかもしれません。

こうした問いに対して、戦前の人はどう考えていたのでしょうか。
戦争体験の中で「生きることの意味」、「生きる喜び」について実体験された方も多かったかもしれません。今日明日を生き抜くことに精一杯で自分を振り返ることができなかったかもしれません。

しかし現代人の場合、生きるか死ぬかといった体験は望んでもできません。
生きることの実感を感じ取りにくくなっていると思います。

ただ一日が過ぎていく・・・
生きがいを見つけることなく、ただ無為に生をむさぼる。
こんな生き方が蔓延しているように感じるのは私だけではないと思います。心の悩み、苦悩は生きることの意味を見つけ出せずにいることに起因するのではないでしょうか。

親鸞会という浄土真宗の団体のホームページでは「生きること」の意味についての詳しいことが載っていました。何かヒントになるようなことがあると思います。
なぜ生きるのか?生きる意味、生きがいについて一度立ち止まって考えてみることが現代人には必要なのではないでしょうか?

仕事の悩み

現代人の心の悩みは人さまざまですが、大人の心の悩みは大きく人間関係の悩みと仕事の悩みに集約されるのではないでしょうか。
人間関係の悩みには、恋愛関係の心の悩み、職場の人間関係の心の悩み、家族の心の悩みなど。

仕事の悩みはどのようなものでしょうか。
まずは「生きる」ということを考えて見ましょう。
人間は生まれてから成人するまでは、多くの方が親の庇護の元大きくなっていきます。その間は、実社会の厳しさから親に守られることによってすくすくと大きくなっていきます。

そして多くの若者が、高校や大学を卒業し社会に出て行きます。
この「社会に出る」という表現は、親の庇護から出る、とか仕事に就くということに置き換えられます。つまり、ひとり立ち、仕事をして自分で稼ぐということが社会に出るということになるのです。

しかし、現代社会では必ずしも親元を離れずに生きることも可能な世の中になっています。
いくつになっても親からお小遣いをもらって生きる、「ニート」とも呼ばれますが、働きたいけれども働き口がない、または働こうとしない若者など、「自由」というお題目の元、自分勝手な解釈をして「自由な生き方」と自己肯定する輩も多く存在します。

現代人の心の悩みは、「自由」という概念に溺れて自分を確立できないところに問題があるのではないでしょうか。
浄土真宗関係の書物に「正信偈」、「歎異抄」というものがあります。浄土真宗の開祖といわれる親鸞聖人に関わりのある書物なのですが、読みやすい現代語訳のものなど簡単なものを選んで読んでみるのもいいかもしれません。

心の悩みと人生相談

社会不安が広がるとスピリチュアルなものや人生相談の人気が高まる傾向があるそうです。
「心の悩みを誰かに聞いて欲しい・・・」
「この悩みは自分だけなのか、それともみんなが抱える悩みなのか・・・」

こうした悩みを人に聞いてもらうことで、心の癒しにしたいと考える現代人が増えています。
不況で、会社が危ない、収入が見込めない、家のローン、子供の教育のこと、将来が見えない・・・こうした心の悩みを抱える人がぞくぞくと増えているのが現状なのではないでしょうか。

生きるのが難しいと感じている人も多いと思います。
毎日必死に生きているけれども、うまくいかない・・・。もっと心安らかに生きたいのに、どうしてこんなにも淋しいのか・・・。

心の悩みは尽きません。救いを求めているのですが、どこに救いを求めていいのかわからないのが現代人の心の悩みなのかもしれません。人間は生まれてきたときから悩み続ける存在なのでしょうが、どこかに悩みを解決する方法はないのでしょうか。

悩みの多くは、自分と社会の関わりについて悩んでいるケースが多いと思います。
しかし、例えば私の実家の宗派である浄土真宗においては阿弥陀仏の本願の救いを求め、阿弥陀仏の本願のお力によって救われることで、一切の苦しみの根本原因が解決されると聞きます。
信じられないようなことですが、長く伝えられている伝統的な教えで、何だかとても魅力的な話です。

何か自分ではない大きなものに任せることで救われるということがあるのでしょうか・・・悩みは尽きません。