現代人の心の悩み;生きがい

「あなたの生きがいは何ですか?」
と聞かれて、すぐに明快な答えを言える人はどれくらいいるでしょうか。

現代人の心の悩みは、生きがいを感じられずに生きることの辛さ、難しさにあるのではないでしょうか。
この場合の「生きがい」とは、夢や目標とも置き換えられますし、幸せ、幸せな気持ち、充実感とも言えます。

しかし、現代はモノに溢れ美味しいもの、便利なもの、が簡単に手に入る世の中になっています。
生きがいを見つけられずにいる現代人が増えていると思います。心の悩みは満たされ過ぎていることで、逆に増長させられているのではないでしょうか。

「満たされていない」ことは、エネルギーになります。
ハングリー精神などともいいますが、逆境は人間にパワーを与えるのだと思います。

しかし、我武者羅に生きることで本当の「生きがい」を得ることができるのでしょうか。

我武者羅に突っ走るパワーやエネルギーがあっても、どこに向かって走ればいいのかを間違っていてはどうにもなりません。
行き着く先は無間地獄と呼ばれる暗闇かもしれません。

親鸞会のホームページに、「御文章」についての解説があったのでご紹介しておきます。
『凡そはかなきものは、この世の始中終、幻の如くなる一期なり』

(省略)~人生はよく旅に例えられます。旅人にとって最も大事なのは、行く先でしょう。どんなものを食べるか、どんな服を着るかより、もっと大事なのは目的地。行く先がハッキリしていなかったら、歩く意味がありません。

歩けば歩くほど苦しいように、生きれば生きるほど、苦しみも多くやってきます。目的なしに生きるのは、苦しむために生きるようなものです。意味も目的もなく、最後死ぬために生きるのが人生ならば、私たちは何のために生まれてきたのでしょうか。なぜ人命は地球よりも重いといわれるのでしょうか。

蓮如上人は、”目的なしに生きる人間の儚さを知りなさいよ”と、教えられています。

人生の目的

現代人の心の悩みは、生きることの意味、つまり「人生の目的」を見出せずにいることだと思います。
ある人は「家族を養うこと」、「お金を儲けること」、「いい暮らしをすること」と人生の目的を説明するかもしれません。

しかしそうしたことが「人生の目的」なのでしょうか。
心の悩みは、こうした俗世間の価値基準で自分を縛ることに原因の一端があるのではないでしょうか。親鸞会のホームページで次の一説を紹介されていたので、引用したいと思います。

<人生の目的 親鸞聖人の宣言>
『たとえ、汗と涙で築いた全財産を失い、最愛の人と別れ、重い病に倒れても、”人間に生まれてよかった。この身になるための人生だった”と知らされる生命の歓喜はあるのでしょうか。』

生きる目的は何か。親鸞聖人の解答は、揺るがぬ確信と勇気に満ちています。
「難思(なんし)の弘誓(ぐぜい)は難度海(なんどかい)を度する大船、無碍(むげ)の光明は無明(むみょう)の闇を破する慧日(えにち)なり」
教行信証:きょうぎょうしんしょう)

“阿弥陀仏の誓願(難思の弘誓)は、私たちの苦悩の根元である無明の闇を破り、苦しみの波の絶えない人生の海を、明るく楽しくわたす大船である。この船に乗ることこそが人生の目的だ”
何と大きく、力強い宣言でしょう。「苦海をわたす大船に乗ること」とは、「苦悩の根元を破られ、”よくぞ人間に生まれたものぞ”と生命の大歓喜を得ること」です。
~~~~以上、引用~~~~

ここで親鸞聖人は明確に人生の目的をおっしゃっておられます。弥陀の本願にお任せし、救われることが人生の目的だと。
心の悩みの多くは人生の目的を見出せずにいることだと思います。ヒントがありそうです。

生きるということ

生きるということはどういうことなのでしょうか。
人はなぜ生きるのか?

現代人の心の悩みはこうした疑問にいきつくのではないかと思います。
心の悩みの多くが、「生きる喜び」を感じられずにいることから発しているのではないですか。

自分の心に問いかけてみましょう。
「なぜ生きているのか」
「生きる喜びとは?」
現代人にとっては、あまりに抽象的過ぎて答えが出てこないかもしれません。

こうした問いに対して、戦前の人はどう考えていたのでしょうか。
戦争体験の中で「生きることの意味」、「生きる喜び」について実体験された方も多かったかもしれません。今日明日を生き抜くことに精一杯で自分を振り返ることができなかったかもしれません。

しかし現代人の場合、生きるか死ぬかといった体験は望んでもできません。
生きることの実感を感じ取りにくくなっていると思います。

ただ一日が過ぎていく・・・
生きがいを見つけることなく、ただ無為に生をむさぼる。
こんな生き方が蔓延しているように感じるのは私だけではないと思います。心の悩み、苦悩は生きることの意味を見つけ出せずにいることに起因するのではないでしょうか。

親鸞会のホームページでは「生きること」の意味についてのヒントがあると思います。
なぜ生きるのか?生きる意味、生きがいについて一度立ち止まって考えてみることが現代人には必要なのではないでしょうか。生きがいは誰かに教えてもらうものではなく、自分で探してみるものだと思います。

仕事の悩み

現代人の心の悩みは人さまざまですが、大人の心の悩みは大きく人間関係の悩みと仕事の悩みに集約されるのではないでしょうか。
人間関係の悩みには、恋愛関係の心の悩み、職場の人間関係の心の悩み、家族の心の悩みなど。

仕事の悩みはどのようなものでしょうか。
まずは「生きる」ということを考えて見ましょう。
人間は生まれてから成人するまでは、多くの方が親の庇護の元大きくなっていきます。その間は、実社会の厳しさから親に守られることによってすくすくと大きくなっていきます。

そして多くの若者が、高校や大学を卒業し社会に出て行きます。
この「社会に出る」という表現は、親の庇護から出る、とか仕事に就くということに置き換えられます。つまり、ひとり立ち、仕事をして自分で稼ぐということが社会に出るということになるのです。

しかし、現代社会では必ずしも親元を離れずに生きることも可能な世の中になっています。
いくつになっても親からお小遣いをもらって生きる、「ニート」とも呼ばれますが、働きたいけれども働き口がない、または働こうとしない若者など、「自由」というお題目の元、自分勝手な解釈をして「自由な生き方」と自己肯定する輩も多く存在します。

現代人の心の悩みは、「自由」という概念に溺れて自分を確立できないところに問題があるのではないでしょうか。
浄土真宗関係の書物に「正信偈」、「歎異抄」というものがあります。浄土真宗の開祖といわれる親鸞聖人に関わりのある書物なのですが、読みやすい文章なので現代語訳のものなど簡単なものを選んで読んでみるのもいいかもしれません。

心の悩みと人生相談

社会不安が広がるとスピリチュアルなものや人生相談の人気が高まる傾向があるそうです。
「心の悩みを誰かに聞いて欲しい・・・」
「この悩みは自分だけなのか、それともみんなが抱える悩みなのか・・・」

こうした悩みを人に聞いてもらうことで、心の癒しにしたいと考える現代人が増えています。
不況で、会社が危ない、収入が見込めない、家のローン、子供の教育のこと、将来が見えない・・・こうした心の悩みを抱える人がぞくぞくと増えているのが現状なのではないでしょうか。

生きるのが難しいと感じている人も多いと思います。
毎日必死に生きているけれども、うまくいかない・・・。もっと心安らかに生きたいのに、どうしてこんなにも淋しいのか・・・。

心の悩みは尽きません。救いを求めているのですが、どこに救いを求めていいのかわからないのが現代人の心の悩みなのかもしれません。人間は生まれてきたときから悩み続ける存在なのでしょうが、どこかに悩みを解決する方法はないのでしょうか。

悩みの多くは、自分と社会の関わりについて悩んでいるケースが多いと思います。
しかし、例えば浄土真宗においては阿弥陀仏の本願にお任せすることで、一切合切の悩みが解消されると聞きます。
阿弥陀仏のお計らいに気付くことで、救われるのだそうです。なんだかとても魅力的な話ですが、本当なのでしょうか。

キリスト教でもイエスが人間の罪を一身に背負われて救われたといいます。
何か自分ではない大きなものに任せることで救われるということがあるのでしょうか・・・悩みは尽きません。

現代人の心の悩み;自殺

日本が「自殺大国」だということをご存知でしょうか。
ここ10年以上、毎年3万人以上の方が自殺で亡くなっており、その数は10年で30万人以上にのぼっているのです。

これは主要国の中でもダントツに多く、イラク戦争で亡くなった戦死者をはるかに上回る数の人が自殺によって亡くなっています。
このことは「長寿大国」といわれている日本が抱える矛盾と言えるかもしれません。

長生きもするけど、自殺も多いですよと・・・。

現代日本が抱える心の悩みを象徴する現象だと思います。
自殺をする人には、生きていられないと思うような深刻な悩みがあるのだと思います。決して自殺が正しいというつもりはさらさらありませんが、抱えきれない悩みもあるのかもしれません。

自殺した方の心の悩みは推し量ることは出来ませんが、自殺白書の統計数字から、現代日本の抱える心の悩みが見て取れるように思います。

ニュースなどで報道されるものは、生活苦、介護疲れ、独居老人の死、一家心中など社会を反映した理由がつけられています。
こうした心の悩みに家庭も学校も政治も社会も無力になってしまっているのでしょうか。それとも無関心になっているのでしょうか。

都会では隣近所に誰が住んでいるのかさえも知らないケースが多いといいます。
隣の人の悩みなどは知る由もありませんね。こうした状況は正しいか、正しくないかの判断をしても意味がありません。正しくないとしてその解決策が示されなければ、現状把握で終わってしまいます。心の悩みを解く鍵はどこにあるのでしょうか・・・。

家庭内暴力

現代人の心の悩みを象徴する社会現象が「家庭内暴力」ではないでしょうか。
家庭内暴力はDV(ドメスティック・バイオレンス)とも呼ばれるようになりました。こうした暴力には、児童虐待なども含まれます。

心の悩みを抱えてしまっているといえます。
なぜ、抵抗することができない子供や妻、パートナーに暴力が振るわれるのでしょうか。
暴力にはもちろん「肉体的暴力」と「精神的暴力」があります。

児童虐待には、肉体的暴力の性的虐待や、ネグレクト(無視・放置)といった精神的かつ肉体的な暴力が含まれます。

もともとは小さなきっかけがあったのかもしれないですが、それが心の悩みとなって自分をこうげきすれば、自傷行為や自殺となって、周囲に向けば、家庭内暴力や無差別殺人といった現象になっているのです。

もともと家庭内や夫婦間(元夫婦も含む)のトラブルは「民事不介入」というお題目の元、警察が入りにくい状況がありました。
子供に対する虐待もしかりです。

こうした社会問題は、現代人が抱える心の悩みが種となって徐々に拡大していったのではないかと思います。
社会は成熟し、利便性は増し、医療技術の発達によって長く生きることが可能になりました。その分、心にかかる負担や悩みが増えてきているのではないでしょうか。

毎日報道される事件、事故のニュースは現代人の心の悩みを感じさせます。
どうしてこうなってしまったのか・・・。解決策を考える必要と、なぜこうなったかの分析が必要だと思います。

いじめとは

古くて新しい問題が「いじめ」の問題です。
現代人の心の悩みを反映したのが、いじめ問題ではないでしょうか。

いじめとは、「弱者に対して個人や集団で、「意識的」に精神的あるいは肉体的な苦痛を与えること」です。いじめられた人は普通ではいられないほどの深い苦しみを味わうことになります。

いじめは子供の問題と思われがちですが、職場でのいじめなど社会全体にはびこる社会の抱える悩みになっています。

心の悩みを抱えた現代人にだけ、現れた特異な現象が「いじめ」なのでしょうか。
例えば、1000年前に「いじめ」はあったのでしょうか。江戸時代に「いじめ」問題は存在したのでしょうか。

近代以前の日本では、生きるか死ぬかが問題だったり、そもそも学校に行ける子供が少なかったということもあったでしょう。
いじめが問題になる以前に抱える問題が多かったといえるかもしれません。

また日本以外の国も考えてみると、ほんの半世紀前まではアメリカの黒人差別問題は社会に根強くありました。現在でも人種差別という問題は解決されるに至っていません。

心の悩みが原因なのか、人間が生まれながらに抱える悩みなのかはわかりませんが、いじめ問題は文明レベルが上がった社会が抱える心の悩みが原因となって発生しているのかもしれません。

いじめは絶対に許せる行為ではありません。
特に子供の場合は、その行為が招く事態というのを知りません。知識も経験もないため、やってしまうのです。
やはり教え込んでいかなければなりません。ダメなことはダメだと。

心の悩み;うつ

昨年、ある製薬会社が12歳以上対象の調査を行なった結果、約8人に1人、つまり12%程度もの人が「うつ病」か「うつ状態」にあると考えられるという報告がありました。

現代人が心の悩みを抱えていることを示すひとつの数字だと思います。
うつ病にかかってしまうと、やる気がおきない、人と会うのが億劫、ふさぎがちになるなど日常生活に支障が出ることもしばしばです。
心の悩みによって病気にまでなってしまうということです。

このうつ病は「頭」が「心」と「身体」をコントロールしようと頑張ってしまって、「心」と「身体」が反発してしまう、又は疲弊して弱ってしまった状態だそうです。こうして「頭 vs 心と身体」という内部分裂から内部対立へと症状がすすんでいくのだそうです。

「心」は感情・欲求・直感を司り、「頭」は理性・情報処理を担当しています。
つまり感情や欲求といったものを理性が過剰に押さえ込んでしまった状態とも言えそうです。

こうした押さえつけられた心の悩み、現代人の悩みが表面化したものが「うつ」なのではないでしょうか。

高度に情報化した現代では、感情や欲求といったものが見えにくくなっています。
好き嫌いに関わらず増え続けるノルマや知識、欲しいと思わなくても手に入る利便性や生活など。

現代人は心の悩みを抱えて思考停止に陥る一歩手前のような状況にさらされているように思います。
今一度、生活を振り返る、自分の立ち位置を見直す時間が心の悩みには必要なのだと思います。

現代人の心の悩み

現代は「高ストレス社会」と呼ばれています。
現代人は日々、ストレスを感じて生きているといわれています。人間関係のストレス、仕事のストレス、家庭のストレス・・・。

こうしたストレスを抱えて「心の悩み」を抱えてしまう人が増え続けています。
心の悩みを抱えてしまうと、人と上手く付き合えないと感じて社会から距離を置いたり、自分の殻に閉じこもってしまうということもすくなくありません。

また心の悩みは逆に対外的にも「暴力」となって噴出し、家庭内暴力(DV)、児童虐待、いじめとつながっていくこともあります。

このように心の悩みによって、社会とうまくやっていけないと感じている人、無意識のうちにそうなってしまっている人が増えています。
心の悩みはストレスが原因ばかりとはいえませんが、ストレス社会が背景にあることは間違いないでしょう。

現代人の抱える心の悩みは不気味な広がりを持ちつつ、社会を覆っていっているのではないでしょうか。
夕方のニュースを見ると、殺人事件、事故、児童虐待の報道が溢れています。

不況による、失業なども社会不安の一因となっているでしょう。
特に、失業などは生活不安に直結します。明日の食事にも困る状況では、生きることに必死で自分を振り返る、反省している余裕など生まれないのです。

心の悩みを抱えた現代人には、ストレス、不況、政治不信、企業による大掛かりな偽装・詐欺など数え切れないプレッシャーが襲っている状況なのです。