大阪市職員の「心の悩み」? 休職者が増加している件

大阪市の職員で、昨年1年間のうち心の病で休職した人が274人に登ったと報じられました。
調査の対象は3万人の職員ですが、休職者数は年々増えているそうです。
仕事上の問題や、人間関係から来るストレス、家庭をとりまく事情など様々な原因が考えられますが、みなさんが底知れない「心の悩み」をかかえていることには違いなさそうです。
大阪市は臨床心理士らが相談に応じるカウンセリングルームを設けたり、管理職向けの対応マニュアルなどを作成し、早期予防に努めようとしているそうです。しかし、これだけ多くの職員が休職しているとなると、予備軍も合わせてカウンセリングを行うには、相当無理があるようにも感じます。
管理職の人まで休職してしまうかもしれません。
仕事上で大きなストレスとなる要因の一つに、人間関係があるでしょう。私も最近、人間関係が辛くて仕事を辞めたと相談を受けた人があります。
人は一人で生きることはできません。仕事に限らず、日頃の生活をする上で、人間関係を無視することはできません。
自分の心を和ませてくれる人とだけつきあえるのなら、こんなに幸せなことはありませんが、そうも言っておれないことも多々あるのも事実。
そんな時は、やはり「発想の転換」をしないと、乗り越えることができません。
親鸞会の法話で教えてもらったことがあるのですが、
「この世は皆、しばらくの縁である。
 しばらくの間、夫であり妻であり、子どもであり親なのである。
 そうと知れば、一瞬一瞬のご縁を、大切にせずにおれなくなる」
 
人生は所詮、乗り合い舟。目的地の岸に着いたら、乗船客はそれぞれ散らばって行く。親も配偶者も子どもも、みんな舟に乗っている間の縁なのだ、と。
これからの人生は長く感じられますが、過ぎ去った人生というのはあっという間。
所詮短い間の出来事。
あなたの隣にいる人も、いつか必ず別れる時がある。
そう思えば、嫌な人間関係も、「すこしは大切にしてみようかな」という気持ちになりませんか?

現代人の心の悩み;生きがい

「あなたの生きがいは何ですか?」
と聞かれて、すぐに明快な答えを言える人はどれくらいいるでしょうか。
現代人の心の悩みは、生きる目的がわからないために、生きがいが生きがいと感じられず、生きることが辛く、苦しいものに思えることにあるのではないでしょうか。
この場合の「生きがい」とは、夢や目標とも置き換えられますし、幸せ、幸せな気持ち、充実感とも言えます。
しかし、現代はモノに溢れ美味しいもの、便利なもの、が簡単に手に入る世の中になっています。
それなのに、日々の生活に喜びを感じられず、同じことの繰り返しと思っている人が多いのではないでしょうか。
心の悩みは満たされ過ぎていることで、逆に増長させられているように思われます。
「満たされていない」ことは、エネルギーになります。
ハングリー精神などともいいますが、逆境は人間にパワーを与えるのだと思います。
しかし、我武者羅に生きることで、本当の生きる喜びを得ることができるのでしょうか。
我武者羅に突っ走るパワーやエネルギーがあっても、どこに向かって走ればいいのかを間違っていてはどうにもなりません。
たどり着いた先は、想像もしなかった暗黒の世界かもしれません。
もし、そうであれば、これほどむなしい人生はないでしょう。
親鸞会のホームページに、「御文章」についての解説があったのでご紹介しておきます。
『凡そはかなきものは、この世の始中終、幻の如くなる一期なり』
(省略)~人生はよく旅に例えられます。旅人にとって最も大事なのは、行く先でしょう。どんなものを食べるか、どんな服を着るかより、もっと大事なのは目的地。行く先がハッキリしていなかったら、歩く意味がありません。
歩けば歩くほど苦しいように、生きれば生きるほど、苦しみも多くやってきます。目的なしに生きるのは、苦しむために生きるようなものです。意味も目的もなく、最後死ぬために生きるのが人生ならば、私たちは何のために生まれてきたのでしょうか。なぜ人命は地球よりも重いといわれるのでしょうか。
蓮如上人は、”目的なしに生きる人間の儚さを知りなさいよ”と、教えられています。

生きるということ

生きるということはどういうことなのでしょうか。
人はなぜ生きるのか?
現代人の心の悩みはこうした疑問にいきつくのではないかと思います。
心の悩みの多くが、「生きる喜び」を感じられずにいることから発しているのではないですか。
自分の心に問いかけてみましょう。
「なぜ生きているのか」
「生きる喜びとは?」
現代人にとっては、あまりに抽象的過ぎて答えが出てこないかもしれません。
こうした問いに対して、戦前の人はどう考えていたのでしょうか。
戦争体験の中で「生きることの意味」、「生きる喜び」について実体験された方も多かったかもしれません。今日明日を生き抜くことに精一杯で自分を振り返ることができなかったかもしれません。
しかし現代人の場合、生きるか死ぬかといった体験は望んでもできません。
生きることの実感を感じ取りにくくなっていると思います。
ただ一日が過ぎていく・・・
生きがいを見つけることなく、ただ無為に生をむさぼる。
こんな生き方が蔓延しているように感じるのは私だけではないと思います。心の悩み、苦悩は生きることの意味を見つけ出せずにいることに起因するのではないでしょうか。
親鸞会という浄土真宗の団体のホームページでは「生きること」の意味についての詳しいことが載っていました。何かヒントになるようなことがあると思います。
なぜ生きるのか?生きる意味、生きがいについて一度立ち止まって考えてみることが現代人には必要なのではないでしょうか?