他人の目が、どうしても気になる悩み

「自分はどう思われているのか、他人からどう見られているのか」
それがとても気になって、ストレスになる人が多いです。
自分の外見がコンプレックスになって、人とうまくつきあえない、更には家から出ることができない・・・様々なトラブル、そして心の悩みとなってきます。
人と人との付き合いの中には、当然「礼儀」というものが存在します。
コミュニケーションにおいて、自由奔放に行われればよいものではなく、当然そこには守らねばならないルールが存在します。
「礼儀」とは、自分の言動が相手にどのように思われているのか、どのように受け止められるのかを感じ取って、そのストレスを少しでも軽減するように言動を慎むことと言われます。
つまり、人とつきあう以上「他人からどう思われているのか」を常に考えねばならないことに違いありません。
それが行き過ぎると、とんでもないことになります。
心の悩みが深まり、自分の妄想が広がり、「あいつは私のことを悪く思っているのではないか」と必要以上に他人のことを恨む結果にもなりかねません。
心の向きを、是非転回してみてください。
あなたと同じように、他人も、「自分が生きることで精一杯」なのです。
他人のことを、あれこれ考える余裕などないのです。
自分が思っているほど、他人はあなたのことを考えていたりはしません。たとえ思っていたとしても「そんなもんだ」と見るのがせいぜいです。
そう心に言い聞かせて、存分に他人とつきあってみませんか。

語ることで、心の悩みを和らげよう

かかえている心の悩みを解消する、一つの方法としては、やはり誰かにその悩みを打ち明けてみる、ということが上げられます。
そんな「相手」を、お持ちですか?
近所付き合いが、まるで同じ家族のように親密になされていた時は、近所のおばさんでさえ悩みを聞いてくれる環境がありました。
そんなコミュニケーションが薄くなってきた今日、考えられるのはどんな人物でしょうか。
当然、学校や職場での友人、家庭なら親や配偶者、その他様々な相手を想像することができます。
しかし、どんなに気心知れた仲でも、「これ以上は話すことができない」という奥深い悩みに至ることも、少なくありません。
いつも一緒に暮らしている妻だけど、これ以上はしゃべれない。
いつも平気で迷惑をかけている親だけど、これ以上は語れない。
いつも楽しくやっている友達だけど、これ以上は話せない。
……打ち明けると、多大な迷惑をかけるから。
……打ち明けると、絶対に相手を悲しませることになるから。
そんな悩みが尽きないことも、しばしば。
「もうこれ以上、打ち明けることはできない」ものを、誰もが必ず持っているということは、親鸞会でもしばしば教えられることです。
仏教でも、そんな深い悩みを見つめ、その解決方法は何なのかを教えられているのです。
そんな浄土真宗の教えに触れないまでも、悩みを打ち明けられる相手を持つことは大切なことです。
悩みを語ることによって、気持ちは随分と落ち着くものです。
「相手は、きっといやがるだろう……」
そんな、相手に、どう思われようと、いいじゃありませんか。
それよりも、心の悩みを蓄積して、自身に不健康を招いたり、ましてや自ら命を絶つようなことになってしまってから、相手にどうこう思われるなどといったことは大きな問題ではなくなります。
語る、ということは、それほど大事なことなのですね。
日頃から、そんな「語り合い」というコミュニケーションを取れるようになっておくのも、大切なことだと思いますね。